【トップページに戻る!】

2014年12月30日

勇気を出して初めての長浜城

お隣の県だからか、見逃しがちだった城を巡りたい!と愛知県に続いて巡ったのは同じくお隣の滋賀県。
歴史的にも名があるお城が点在する滋賀県ですが、その中でも羽柴秀吉が初めて拝領した出世の代名詞「長浜城」に今秋行って参りました。


岐阜県西濃地方は関ヶ原をさらに西に抜けると、それまでの平野の景色がだんだんと山並みに変わり、トンネルや坂を越えて琵琶湖のほとり長浜市街地まで向かいます。

1220-01.png
長浜駅方面まで向かう途中の滋賀県道509号線沿いは、どどんと石田三成のエリア!
彼の生誕地である「石田町」や秀吉との出会いがあったお寺「観音寺」など、まさに石田三成ロードとも言うべきエリアを通過します。ここから一直線に「ロード・トゥ・長浜」といった感じがまたいいですね。
ただ、道がすごく狭い上にトラックもバンバン行き交うので、注意を払いながらの通過。これもまた歴史巡りドライブの醍醐味で…。


長浜城と歴史博物館がある広大な「豊公園」は、琵琶湖に面したアクセスも立地も便利な場所で、レイクスポーツなど様々なレジャーを楽しまれる方も多いようです。
それゆえに公園駐車場がゲキ混み…!!
いっそ長浜駅周辺のコインパーキングに停めて、黒壁スクエアなどとセットで予定すべきだったとリサーチ不足を後悔…。

しかしそこは琵琶湖のお城、秀吉の長浜城。
1230-02.jpg

お城が公園の中にマッチしていてイイ感じ。


美濃攻めにおける墨俣一夜プロジェクトから、浅井攻めにおける小谷ミッションまで破格の活躍を見せた羽柴秀吉。
浅井氏亡き後、天正元年(1573年)頃にその旧領である湖北地方で初めて城持ちとなったのがこの長浜城となります。当時は「今浜」とされていた地名を、縁起がいいからという事で「長浜」に改名、琵琶湖の水運や資材をふんだんに使ってこの長浜城を建築いたしました。

現長浜城は近代に再建されたコンクリートタイプのお城なのですが、実は当時の書類が残っておらず、本当はどんなタイプのお城だったかは分かってはいないそうです。
しかし、ここはものすごく戦略的重要拠点
山や盆地が多い西日本にあって、琵琶湖経由の物流スピードは圧倒的であったそうですし、何よりここから京都を把握し、そして見据えるは大坂の本願寺、さらには中国地方のドンである毛利一族…!
秀吉は、後に中国地方平定(中国攻め)のための総司令官を任される事になります。

-----------------【突発長浜城マンガ】-----------------

1230-01.jpg

※クリックすると原寸サイズで開きます。
(ちょっと大きいです)
--------------------------------------------------------------------


それにしても、いつ訪れても美しいのは琵琶湖の絶景。
1230-03.jpg

日本の夕日百選」という触れ込みでアピールしていましたが、それも納得の夕日の美しさ。
海のない岐阜県育ちでありますが、そんな私が無条件でテンションが上がる程の水面の雄大さがあります。

1230-04.jpg

君が代も わが代も共に 長濱の 真砂のか須の つき屋らぬまで
当時、秀吉の与力であった竹中半兵衛が詠んだ歌。この歌を受けて秀吉が「長浜」に改名したとの逸話があります。(今回は歌の石碑に行けなかったので、次回チャレンジ!)
本当は詠み人知らずという話もありますが、半兵衛作というレジェンド感をぐぐっとアップしたい方向で(…)


長浜城の下、長浜の街も随分と栄えたようで、商人や職人がコミュニティを形成し、またそれに伴ってお祭りなどの街の文化も発展していきました。男の子が生まれたらお祝い金を振る舞う、なんてのも秀吉ならではの心憎い演出の政策。

現実主義で利益最優先を軸としながら、人情味と明るさを併せ持つ当時の秀吉の「ノリノリの人間味」があふれ出ていた長浜時代だったんじゃないかな、と感じさせられました。

1230-05.jpg


実は、この日は「西美濃から長浜まで一直線だからイケル!」という良く分からないテンションから、
垂井の栗原山(竹中半兵衛史跡)〜関ヶ原古戦場の岡山烽火場(竹中重門&黒田長政陣跡)〜長浜城(竹中半兵衛仕官先)
というブっこみ竹中タイムアタックを敢行したものでありました。
朝から夜までびっしり史跡巡りで慌ただしい面もありましたが、一つテーマを決めてたくさん訪問するのも面白いですね!

次回は絶対に黒壁スクエアでゆっくり遊びます(´ー`)


それでは、長浜城のコラムを最後までお読み頂きありがとうございました!